北海道で人気となり2005年には日本中にひろまった「スープカレー」。大ブームになったのは記憶に新しいところです。ごはんにかけるものではありませんが、実はかつてクノールもスープカレーをお届けしていました。それは、昭和33年に世田谷でクノールがスタートしてから15年後の昭和48年(1973年)のこと。誕生したクノール「カップスープ」の4つの品種は、コーンクリーム、チキンクリーム、チキンコンソメ、そしてカレークリームだったのです。現在は残念ながらカレー味のクノール「カップスープ」はありませんが、どんな味だったのか、ちょっと気になりますね。
欧米でポピュラーなクノールスープの味わいを、より日本のお客さまに合わせてお届けするために、クノールではさまざまな努力を行いました。日本で求められる味わいを研究し、主婦の意見を参考にしながら調査やテストを繰り返し、スイス・クノール社のエグゼクティブ・シェフであるオブリスト氏も来日して味わいを微調整。こうして昭和39年(1964年)1月24日に「バッグスープ」を発売。「マッシュルームスープ」「オニオンクリームスープ」「チキンクリームスープ」「チキンヌードルスープ」「ビーフヌードルスープ」の5つのおいしさが登場しました。価格は1袋70~80円。分量は5人分。当時は家族を5人でとらえていたことがうかがえます。あたたかなスープを家族5人で囲む食卓。そんな風景が、日本のクノールの原点といえるのかもしれません。
裁判の記録にも残っている出来事を紹介しましょう。ときは1765年、パリに「ブーランジェ」というお店がオープンしました。当時はその週に残ったパンを土曜日に食べ切る習慣があり、人々はその調理に苦心していました。そこでこのお店は、パンの消費にぴったりのブイヨンや煮込み系料理を販売。しかしパリの飲食業界ではギルド(同業者組合制度)により提供してよい料理に規制があり、「羊肉の煮込みソースかけはラグー(煮込み料理)なのでギルドに違反している」と訴えられてしまいます。お店の主人は、「これはラグーではなく肉とソースを別々につくって合わせたもの。ソースといってもスープを煮詰めたものでスープの延長である」と主張。裁判長が「では、ブーランジェで出している料理は何だ?」と問いつめると、「客の元気を回復する、レストレさせる料理です」と答えました。これが「レストラン」誕生のきっかけ。食べた人を元気にさせる料理とは、まさにスープの基本ともいえますね。
固くなったパンを肉や野菜と煮込んだ「ごった煮」が原型とされるスープ。この味が格段に洗練した最初のきっかけは、11~13世紀の十字軍の遠征です。東洋からヨーロッパに持ち込まれたさまざまなものの中に香辛料があり、スープはもちろん料理全体に劇的な進化がもたらされました。次の大きなきかっけは、17世紀に登場した美食家たち。フランスのルイ14世は、料理を現在のように調理場から1品ずつ運んでくるサービス方法に変え、スープも正式な献立として取り上げられるようになりました。イギリスのアン女王も美食家として知られ、調理人と直接言葉を交わすほどのこだわりがあったそうです。
日本では奈良時代の『万葉集』に「羹(アツモノ)」が登場。この頃「堅魚煎汁(カツオノイロリ)」というだし汁が存在したこともわかっています。平安時代の『枕草子』では「汁物」や副食物の後でご飯を食べたことがうかがえます。室町時代になると、豆腐やとろろ、竹の子などを具とするさまざまな汁物が書物に記されています。当初はそのまま食していた味噌や醤が、米飯を食べる量が増えるとともに汁物に用いられるようになり、日本のスープともいえる「味噌汁」や「すまし汁」が庶民に定着。やがて16世紀のフランシスコ・ザビエル来日の頃、「ソップ」(オランダ語でスープという意味)が上陸します。





